愛を知りたいのなら その3

愛を感じると身体が変わってしまうと話しましたが、よく分からない方のために”例え話”をします。

これがそのまま愛にはなりませんから、各自で体感してください。



まず、恒常的に身体を壊している方は愛が足りません。

と言っても、これでは意味が分からないため違う言葉に置き換えます。


常に身体を壊している方は”エネルギー”が足りないのです。

エネルギー不足により身体が不具合を起こしているのです。


ここでは『愛=エネルギー』としてください。



では、愛情の話をする前に情の話をしましょう。



情とは、情動のように生物が持っている強い感情であったり、それ以外の感情のことです。

人間には喜怒哀楽や、その他色々な感情があります。

愛情もその一つです。


これらがあることにより、私達は嬉しい時には嬉しい、楽しい時には楽しいと感じているのです。

この時、嬉しい時には嬉しいという感情が、楽しい時には楽しいという感情が”優位”になっています。


優位になっている感情以外にも数多くの感情がありますが、その他の感情が無くなることはありません。

他の感情もきちんと存在しているのです。


でなければ、自我の確立ができません。



自我とは、私達が持っている感情全てを含んでいます。

もしその感情が無くなってしまえば、今の自我を維持することができなくなってしまうのです。


例えば、あなたの自我から嬉しいという感情を無くしたとします。

その場合、二度と嬉しいとは感じなくなってしまいます。


嬉しいという感情の概念ごと無くしてしまうことになりますから、嬉しいと感じることも、嬉しいという言葉の意味も理解できなくなります。


しかし、実際は嬉しい時には嬉しいと感じるはずです。

現在は嬉しいという感情が優位になっていないだけで、嬉しい時には嬉しくなるのです。


ただ”表面に出ていないだけ”なのです。


感情は1か0かではなく、優位になっている感情が1だとしたら、その他の感情は0.5のように、表面に出てこないだけできちんと存在しています。


0にはいくら掛けても数字を大きくすることはできませんが、0.1でもあれば可能なのです。

この場合、10を掛ければ1になります。



では愛情の話になりますが、愛情を与える場合、上の例に倣うと愛情が1、その他は0.5です。

これらの情全てを相手に与えていることになります。


愛情以外にも色々な感情を相手に与えているのです。


車に例えるなら、ガソリンで走る車に原油を入れているようなものです。

100%オレンジジュースを頼んだのに、ミックスジュースが出てきたでも構いません。


情が入ると純度が低くなるのです。

相対的に必要なモノの量が少なくなってしまうのです。



また、生命によって必要なエネルギー量も変わります。

例えば、必要量がコップ一杯だったり、バスタブだったり、プールだったりするのです。


コップ一杯のガソリンが必要なのに、コップ一杯の原油を与えられて車が走りますか?


原油から取れるガソリンは少量です。

走ることができたとしても、すぐにエンジンは止まってしまいます。


しかも、コップではなくプールくらい補給が必要な場合はさらに大変です。

一人が補給できる量などたかが知れています。



情とは個人が持っているものです。

個人が個人に対してエネルギーを与える場合、訓練をしないと自分のエネルギーが枯渇します。


例えば、エネルギーをコップ一杯持っているヒトが、ほぼ空のコップにエネルギーを分け与えた場合、自分の分が無くなってしまうのです。


さらに、プールや海くらいエネルギーが必要な場合、個人ではどうやっても補給できません。

しかも、純度が低い場合はそれ以上補給しなければエネルギーが足りなくなってしまいます。



そして、補給される側の強度によって補給スピードも変わります。

例えば、受け皿が紙なのかコンクリートなのかで補給スピードが変わるのです。


紙の場合はゆっくり補給しないと破れますが、コンクリートの場合はかなりのスピードでの補給が可能となります。


また、補給する場合は相手を強化しつつ補給しますから、そのスピードも相手によって変わります。

ダムの放水のように、常に全開というわけにはいかないのです。



何となくイメージできましたか?


情があると純度不足になり、個人だけではエネルギーを与えることが困難になり、強度を考慮しないと相手が耐えられなくなるのです。


これらをいきなりやれと言われても困ってしまうでしょう。

このブログの趣旨から外れるとはこういう意味です。


気功を知っている方ならこれらは気功そのままだと思うかもしれませんが、上記はあくまで例えです。

そもそも、愛と気功では規模が違います。



ただ、愛情がいけないのかというとそんなことはありません。

恒常的に身体を壊しているというわけではないのなら、愛情で十分です。


まあ、拗れた情を与えている方もいるため結局はヒトによりますが……



愛は言葉では伝えられません。


上の例では愛はエネルギーでしたが、エネルギーをどうやって言葉にするのでしょうか?

「電気エネルギーや熱エネルギーを言葉に変換してください」と言われてできますか?


愛の場合、変換できるといえばできますが、変換の際に大幅なロスが発生しますからその効果は激減します。

ですから、ブログでは伝えられないのです。


私がクライアントにしかやらないと言った意味が理解できましたか?

やらないのではなく、正確にはできないのです。

これらは相手に合わせて変えていくものですから。



愛を体感するためには毎日考えていくしかありません。

毎日、悟りを体感するためにはどうすればいいのかを考えましょう。


全ての物質は素粒子ですから、悟り自体は理論的には理解できるはずです。


しかし、悟りを体感するとなると話は別です。

日々考えていかないと体感できません。


修行あるのみです。



せめて、子どもやペットに愛情を与える場合、自我は抑えるように心がけてください。

相手の未来に輝きがあるよう願ってください。


自我を優位にするのではなく、相手のことだけを考えてあげましょう。

相手が幸せになるように想ってあげましょう。


自分の考えはいりません。

相手のあるがままの姿を受け入れてあげてください。

愛を知りたいのなら その2

世の中には愛について語っている人間が数多くいますが、これらは全て情の話しかしていません。

また、愛を語っておきながら人間のことしか考えていません。


愛が分かっているのなら全生命のことが観えていなければおかしいのですが、それに気付きもしません。


ですから、私は世の中の愛は全て情だと話しているのです。


何故、愛を語っておきながら毛皮や絹で全身を着飾っているのでしょうか?

何故、愛を語っておきながら食に無頓着なのでしょうか?


人間も生物である以上、他の生物を殺して生きることは理解できます。

人間は元々肉食ですから。


しかし、食べる以上に殺すのは違います。

それでは虐殺です。


自然界の動物は必要以上に殺しはしません。


食べる以上に殺してしまっては自分自身の首を絞めるからです。

それが巡り巡って自分達を絶滅に追いやるからです。


自然界の生物の方がよほど生命について理解しています。



人間は知能が発達したのならその程度は理解できるはずなのですが、煩悩を拗らせたためその事柄に目を向けることもしません。


これで知能が発達したなどとお笑い種です。


どこにあるのでしょうか?

欠片も見当たりません。


何も考えていないのなら、その知能はいらないでしょう。



知能があること、正確には抽象化思考ができることが人間の能力です。

それにより科学や技術が発達してきたのです。


つまり、抽象化思考ができるということは悟ることができるということです。

自分だけではなく、他の生命も大切にすることができるということです。


いい加減、人類は悟る必要があります。

これができなければ次のステージへ進めません。


皆が皆、本来の愛を理解できれば争いもなくなります。

極端な貧富の差もなくなります。


人間だけを考えた文明の発達はなくなるのです。



元々、本来の愛の話をすると誰も理解できませんし、体感がものを言うものですから話す気はありませんでした。

このブログの趣旨から外れてしまいますから。


しかし、あまりにも生命を蔑ろにしている人間しかいないため話しました。


子どもに対してウソを教えないでください。


大人が話している愛はただの情です。

もう少し言うのなら、ただの欲望です。

独占欲を拗らせているだけです。


これでは子どもが潰れます。



逆に、本来の愛を分かっているのなら生命は元気でいられます。

子どもが病気に苦しむこともなくなります。


愛とはそれほどのものなのです。


大人が話している愛で元気になれますか?

健康でいられますか?


なれないのなら、それは愛ではありません。

ただの情です。



愛を細分化すればいろいろな言葉にすることができます。

比較的大きな言葉だと『認める』になりますが、それでも言葉にすること自体ナンセンスです。


ペットや子どものためと言うのなら、まずは自分を磨いてください。

理解できなくても理解できるようになるまで考え続けてください。


それができないのなら愛を語らないでください。


その方が世のためです。



誰でも愛を理解することはできます。

それをするかしないかです。


時間はかかるかもしれませんが、毎日考えていきましょう。


世の中に広まっている愛という名の情に騙されないでください。


考え続けるヒトだけが悟ることができます。

愛を体感することができます。


それが本来のヒトとしての能力なのです。


ヒトとしての真価を発揮してください。

愛を知りたいのなら

このブログでも愛についていくつか話しました。


「子どもやペットには愛を与えてあげよう」と話していますが、私が愛と呼んでいるものは悟らなければ与えられないものです。

そんなものを話しても仕方がないので、「愛情を与えてあげよう」「認めてあげよう」と話しているのです。


愛とは、よほどの修行をしなければ与えることなどできないものですから。



愛に情など必要ありません。

情がない状態とは、自我がない状態のことです。


例えば、「あなたの自我をなくしてください」と言われてすぐにできますか?

それほどのことなのです。


世間で知られている愛とは、個が特定の個に対して想う情です。


「愛があるから争いがなくならない」というのは、世間に広まっている愛が情であるから起こるのです。

情さえなければ争いは起こりません。



ただの情に騙されないでください。

それは愛ではありません。


しかし、そう言ってしまうと子どもやペットに対して愛を与えることが難しくなってしまいます。

誰もが分かる愛となると、結局は情の話になってしまうのです。


そもそも、愛は大きすぎて言葉にできないためブログに載せようがありません。


とりあえず、愛は情とは違うものだということが分かればいいでしょう。

あとは自分で体感していくしかありません。



「どうすれば分かるの?」と言われても、「悟りを体感してください」としか言えません。

誰かから与えられたとしても、当人が認識できる概念の外側に愛があるため認識できないのです。


スコトーマに隠れていて見えないのです。


愛をゴールに設定し、ひたすら目指していくしかありません。

慈悲や無償の愛というものだとイメージが湧くかもしれませんが、結局は悟らないと本当の意味で分かったことになりません。


自分自身で見つけるしかないのです。



あえて愛の一部分を抽出するのなら、『認める』です。


間違っても、恋と愛を同列に考えないでください。

恋とは性欲から発生した感情です。


思春期の子どもならともかく、いい大人が四六時中恋について語っているのはおかしいと思いましょう。

傍から見れば、性欲をコントロールできないサルと同じです。



まとめると、愛とは言葉にできないものです。

大きすぎて表記できないため、言葉にするとどうしても齟齬が発生します。


愛を与えるにしても、私はヒトに対してはクライアントにしかしていませんし、与えたとしても先程も述べたようにスコトーマに隠れてしまい当人は気付くことができません。


しかし、頭では分からなくても身体は分かります。

愛を与えられると身体は変わってしまいます。


そういうものなのです。


是非とも愛について考えてみてください。


世間で知られている愛がいかに矛盾を孕んでいるのかが分かると思います。


これが分かるようになると生命が激変します。


毎日考えていきましょう。

プロフィール

中嶌星児(なかじませいじ)

Author:中嶌星児(なかじませいじ)
気コーチ(コーチ&気功師)
パフォーマンス・エンハンスメント・コーチング認定コーチ
PX2ファシリテーター

コーチング専門分野『健康』

このブログの趣旨は、認知科学に基づくコーチングを私なりに分かりやすくして、『自身のゴール(夢)へ向かう方を増やすこと』です。


まずは、右のカテゴリにある『はじめに』を読んでください。

そうすればブログの活用法が分かります。


このブログは体感重視の内容ですから、毎日実践していくことで効果が表れます。

逆に、ただ読んだだけでは効果が出ません。


ヒトは体感して、”真に理解できるようになる”からです。


変わる方法はいくらでもありますが、変わっていくのはあなた自身です。

あなた自身が実践していかなければ、変わりようがないのです。


ですから、まずは自分で実践してみてください。


そして、圧倒的な効率がほしいのなら、私が導きます。

早く元気になってゴールへ向かいたいという方は、以下より連絡をお願いします。

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