論理の補足、本来の人としての在り方、結構簡単に手に入る幸せとは

論理の世界とは、そして今の世界で起こっていること』の補足をしておきます。


まず、論理は対戦相手が同レベルの場合、堂々巡りになります。

スポーツでも対戦相手が同レベルの場合、なかなか勝敗が決しませんよね?


論理、つまりディベートもそれと同じなのです。


しかし、相手と自分との間に圧倒的な差がある場合、あっという間に勝負がつきます。


この圧倒的な差とは、所持しているデータ量や技術もそうなのですが、論理の場合は『視点』の問題になります。

「どれだけ視点を大きくすることができるか」「抽象度を高くすることができるか」によるのです。


例えば、自分のことしか考えていない人は、会社のことを考えている人には勝てません。

例えば、自分のことしか考えていない人は、世界のことを考えている人には勝てません。


視点が違うということは、見えているものが全く違うということです。

自分が気づかないことに相手は普通に気づくことができるのです。


ですから、視点が低い人、抽象度の低い人は論理で勝てません。

勝てるとしたら、かなり限定的な場合に限ります。


かなりのハンデを貰ってようやく勝てるというレベルなのです。

プロスポーツ選手に素人が挑むようなものですから。


視点が高いと”後出しジャンケン”のようなことができてしまうため、視点の低さは致命的になります。


例えば、自分が勝てると思った必殺の論理があったとしても、「でもこんなデータがありますよ?」と自分が知らないデータを出されてしまうのです。

視点が高いと見えるものが単純に増えるため、一部しか見ていない人では勝てないのです。


二次元と三次元の差とでも言いましょうか?


例えば、ゾウが歩いているとしましょう。

そして、その足元にはアリがいるとします。


地面を這っているアリにとって、何処を歩けばゾウに踏み潰されないのかは分かりません。

しかし、傍から見ればゾウが何処を歩くかなど一発で分かります。


視点が変わることで見えるものは膨大に広がるのです。

ですから、論理では広い視野を持つことが重要になります。



また、論理は強い情動に覆されると話しましたが、これは誰にでもできます。


例えば、論理で話そうとしても相手が殴ってきたらどうしようもありません。

論理展開しようとしても、殺されたら話すことすらできません。


別にここまでしなくても、暴言を吐いたりするだけで事足ります。

「うるせえ黙れ」で終わってしまうのです。


それが情動です。

論理は情動に弱くもあるのです。


なお、革命や暴動もこの部類に入ります。


政府が圧制を強いる法、つまり論理を駆使している場合、力を持っているのは政府です。

民が論理展開しようとしても罰せられてしまうため、論理では争えないからです。


ですから、それに対抗するために情動で動くのです。

それが革命や暴動に繋がります。


そろそろ日本でも暴動が起こるかもしれませんね。

そうなったら、政治家など皆殺しになるでしょう。


圧制を強いる論理を駆使する者など、殺してしまえばそれで終わるのですから。

そうすれば圧制もなくなります。


軍や警察が心変わりすれば、政治家や官僚などひとたまりもありません。


何故、それに気づかないのでしょうか?

軍や警察が政治家の味方だと思い込んでいること自体おかしいのです。


軍や警察はあくまで組織であり、その組織を作っているのは人です。

その人にも家族があり、生活があります。


ですから、自分の家族や子ども、孫が不利になることをする政治家の味方をするはずがないのです。


もしそれができるのなら、自分のことしか考えられないロボットだということでしょう。



また、因果応報の話をしていると、「欲は生命が持っているものだから好き勝手していい」「人も生命の一部だから自分本位でいい」と考える人がいます。


確かに、私もそのように話しました。

人も生命であり、この宇宙の中に欲の概念があること自体自然なことだから、本心からやりたいことをしていいと。


しかし、欲のために好き勝手するということは、本能に任せっぱなしということです。

”本能に従って動く虫と同レベル”ということです。


人はバッタと同じなのでしょうか?

作物がなくなるまで食い散らかす虫と同じだと?


違いますよね。


人はこれだけ科学や技術を発達させることができる頭脳を持っています。

それはつまり、抽象化思考ができるということです。


抽象化思考ではなくイメージ力の方がいいでしょうか?


これがあることにより、過去や未来へと想いを馳せることができるようになりました。

これがあることにより、生活を豊かにすることができるようになったのです。


そして、これだけイメージ力が発達したのなら、『他者がどう思うかくらいは分かる』のです。


共感能力は生命なら誰もが持っています。


人の場合、その能力の代わりにイメージ力を得たと言ってもいいでしょう。

しかし、イメージ力があれば他者に共感することができるため、共感能力自体はなくなっていないのです。


人であるのなら共感できます。

そして、人は虫や動物にはない科学や技術を発達させる頭脳があります。


その人が、虫と同レベルの本能に従うなどありえません。


もっと抽象度の高いゴールへ向かうために本心に従うのです。

決して、物欲で満足するようなものを追うためではないのです。


そこは勘違いしないようにしましょう。


本心からしたいことをすればいいのですが、崇高なゴールを目指してください。

物欲という虫と同レベルの欲求を追うのではなく、抽象度を上げて、自分がしたいことを目指していってください。


それが、『本来の人としての在り方』ですよ。



なお、これは心理学の世界でも正しいとされています。

マズローの欲求階層説について以前話したのですが、覚えているでしょうか?


人間は、『物理的な欲求が満たされると次第に精神的な欲求を満たしたくなる』という、あのピラミッドのことです。

もし分からなければ、『マズロー、欲求、階層説』で画像検索してください。


しかし、このピラミッドには続きがあり、『自己超越』という利他的な欲求が存在しています。

このピラミッドの頂点から扇状に広がっていく欲求があるのです。


また、この階層説は「下の欲求が満たされると上の階層に行きたくなる」とされていますが、いきなり上の階層に行くことも可能です。

始めから上の欲求を目指してもいいのです。


ですから、自分だけを見るのではなく、自分以外にも目を向けていきましょう。

それが抽象度を上げるということ、視点を上げるということです。


そして、それが幸せになるためには必要なことなのです。

人間は情報体に近いため、上の階層の欲求、つまり精神的な欲求が満たされれば幸せになれるのですよ。



幸せになりたいのなら、自分だけを考えていてはいつまでも幸せになれません。

なにせ、人は集団生活する生き物ですから。


人は他者と関わり合って生きてきたため、自己完結している人はそれこそ悟った人以外にはいないのです。

いえ、むしろ悟った人は利他に生きますから、結局一人だけで生きることはありません。


できないことはないのですが、より幸せに生きたいのなら利他に生きる方が手っ取り早いです。


うつ病など、精神が病んでいる人に自殺させないためには、ペットを飼うことが有効とされています。

「私が死んだらペットはどうなるの?私が頑張らないと!」となるので、有効とされているのです。


これも立派な利他行為です。


利他とは人だけを指しているのではなく、全ての生命を指しています。

あなたも幸せになりたいのなら利他に生きましょう。



もっとも、利他ばかりに生きるわけではありません。

自分のためにもきちんと生きてください。


例えば、乞食に食料を恵んでもらって嬉しいですか?

ない人から貰うよりも、ある人から貰った方が安心できますよね。


ですから、自分の欲求も満たしていいのです。

自分が生きていないと、他者に何かをすることすらできませんから。


利己と利他はどちらかに傾倒するものではありません。


どちらも『ほどほど』がちょうどいいのです。

それを中庸と言うのです。


中庸を目指すために、利己と利他の両方のゴールを作成していってください。

そうすれば、今まで以上に幸せになれます。


幸せは結構簡単に手に入ります。

あなたが思っているよりも簡単に手にすることができますよ。

プロフィール

Sage

コーチでありヒーラー

『どうすれば自分を変えていけるか』という話を分かりやすくしています

小学6年生なら分かる内容ですから、自分を変えたいのなら学びましょう

方法さえ分かれば、誰であろうと変わることはできます

なお、コーチングやヒーリングの依頼、学習はこちらから

生まれ変わるために

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※ヒーリングに必要な知識だけをまとめました