スピリチュアルやヒーリング、気功、占いなどは一定の人気がありますが、面白いことに、そのような人達は呪いなどを躍起になって否定します。
正の力は信じても、負の力は信じないのです。
何故でしょうか?
知らない人からすれば、どちらも非科学的な力であり、胡散臭いものでしかないのですが。
以前も触れたように、これらはポジティブ側に働くかネガティブ側に働くかの違いしかありません。
使っている力自体は同じなのです。
細かくすると違うのですが、それは置いておきましょう。
ですから、正の力だと思っていたものが、実は負の力だったということが起こります。
悪魔側にまんまと騙され、負の力を使っていることに気付いていないのです。
これだけ世界が崩壊していれば分かりそうなものですが、分からないのでしょう。
とりあえず、現世の全てを疑ってみてください。
人間だけに限定せず俯瞰して見てください。
そうすれば何となく分かります。
そして、その想いは大切にするように。
悪魔の誘惑はあちこちにありますから、それを跳ね除けるためにも必要です。
例えば、「あれが欲しい、これが欲しい」とか、「名声を欲する」とか、「他者と比較して優越感に浸る」とか。
何故そう思うのかをよく考えましょう。
欲自体は悪いものではありませんし、生命は三大欲求がなければ生きていけませんが、その欲をうまく誘導している者達がいます。
そして、いつの間にか常識にまで刷り込まれ、あなたの価値観が変えられているのです。
それがテレビやインターネット、学校などで起こっていることです。
そして子どもは、大人から教育という名の洗脳を受けています。
今の若者は『信仰心』というものがありません。
科学で証明されないものは信じないのです。
しかし、人間に必要なものは信仰です。
『心から信じるもの』が必要なのです。
それが力になりますし、ストッパーにもなります。
論理の世界では、「一単語違えば別物だ」という屁理屈が罷り通るのですが、それを抑えてくれるのです。
まあ、何を信じているのかにもよりますが。
日本では、昔から「お天道様が見てる」と言われてきました。
「悪いことはしっかり見られているから、悪事を働かず真っ当に生きろ」と教えていたのです。
しかし世界を見てみると、ここに色や民族の違いなどが付随しています。
例えば、「肌の色が違うから人ではない。よって奴隷にしてよい」。
例えば、「我が民族は世界を統べるために生まれてきた。ゆえに愚民共をこき使ってやろう」。
これが世界宗教で起こっていることであり、『余計な教え』が入っているのです。
いえ、教えではなく『欲望』ですね。
悪魔にそそのかされたため、このようなことが起こっています。
ですから、今の教えは変えた方が良いでしょう。
もっとも、それでは別の宗教になってしまいますが。
負の力、悪魔の力は特別なものではなく、日常に入り込んでいます。
今、あなたが使っている力も、実は悪魔の力かもしれないのです。
「悪魔の力」と言うと胡散臭いですが、『人間が本来持っている力を抑制する力』『煩悩を強める力』のことです。
例えば、「暴飲暴食が何故起こるのか」考えたことはありますか?
自分の意志が弱いせいだと思っていませんか?
食品添加物に使われているものには依存性があります。
生化学兵器に使われるようなものが使われているのです。
それにより、世界中の人が『薬物中毒』になっています。
薬が切れた禁断症状により、食べ物が欲しくて欲しくてたまらないのです。
あなたを薬漬けにすることで儲けている者達は、自分達が儲かればどれほど悲劇が生まれようと知ったことではありません。
そして、そのような者達は狡猾です。
しっかり逃げ道も用意しています。
民衆を薬漬けにした後は「そこから脱するため」と偽り、医者を使って別の薬を処方します。
あたかも良いことをしていると誤認させているのです。
これをマッチポンプと言うのですよ。
食料生産から医療現場まで全てを見てください。
それらを牛耳っているのは誰でしょうか?
よく考えましょう。
悪魔は特別なものではなく、目の前にいるのです。
なお、便宜上悪魔と言っていますが、誘惑とか煩悩の方が良いかもしれませんね。
煩悩だらけの人間は、自分で考えることができなくなります。
目の前の餌に飛びつくだけあり、思考能力がなくなってしまうのです。
そうなれば、管理する側はとても楽でしょう。
なにせ、自分達の命令を素直に聞いてくれるのです。
歯向かう者も、生活の根幹を握られてしまえば従わざるを得ません。
要はお金ですね。
今の世界はこのような世界です。
悪魔に統治されているとは、煩悩だらけの世界だということです。
そこから脱するためにはどうすればいいでしょうか?
ひたすら考えましょう。
『自分で思考することそのものが大切』ですよ。
スピリチュアルや気功など、世界では正の力ばかりが広まっていますが、負の力はきちんと存在しています。
正の力が広まることは良いことですが、『一方の側しか見せないこと』に疑問を持つべきです。
これは『情報統制』でしょう。
アメリカの大統領選で起こったことがそのまま適用されているのです。
もっとも、「呪いの知識を広めてしまうこと自体が危険なことだ」という論理はあると思います。
むしろ、広めない理由はそれ以外にあって欲しくありません。
ですが、「こういうものがあるんですよ」「あなたも使っているかもしれないんですよ」と話すくらいなら良いでしょう。
現に使っていますし、これには忠告の意味合いもありますから。
まあ、怖がらずとも慈悲の行動をしていけば呪いなど跳ね除けられます。
日常で使用する負の力など、今の感情がポジティブかネガティブか程度の力しかありませんから、それを習慣にしなければ大丈夫です。
例えば、ネガティブな感情がずっと続くことを考えてみてください。
辛い、苦しい、悲しい状態がずっと続くのです。
どう思いますか?
習慣化するとはこういうことです。
『力は使いよう』ですから、一方の力だけに曝されないようにしましょう。
どちらも在っていいんですよ。
負の力ついでに話しますが、以前呪いの話をしたので私は呪いが扱えるのかと思った方もいるようですが、結論を述べると『可能』です。
先も話したように、癒しも呪いも力の方向性が違うだけですから。
そのため、世間にいるヒーラーなら呪うことが可能なはずです。
まあ、こんなことを話してしまったらヤバイ奴扱いされるため話さないのだと思います。
あるいは、ヒーラーの修行しかしていないため分からない、つまり師から教えられていないのだと思います。
私も師から教えてもらうまでできるとは思っていませんでした。
なお、呪うことは可能ですが、個人的な依頼をされてするようなことはありません。
そんなことをしてしまえば、対価を払えば誰でも可能になってしまうからです。
特に、呪いのような力を欲しているのは権力者ですから、対価などいくらでも払えるでしょう。
師からは免許皆伝を授けたから好きにするよう言われましたが、よほどのことがない限りする気はありません。
そもそもこれは信頼の証でしょう。
なお警告ですが、安易に呪いを扱うと自分が呪われますから面白半分で手を出さないように。
もし面白半分でしてしまい不幸にあっているのなら、ヒーリングの力を感じてください。
太陽の力や銀河の力を借りて瞑想しましょう。
それらの力が自分に降り注いでいるイメージをしてください。
ダイヤモンドダストがイメージしやすいと思います。
ユーチューブに動画がありますから探してみましょう。
「元気になっている!」と思いながら瞑想をすれば、本当に元気になります。
これだけである程度の呪いは跳ね除けられます。
そもそも、皆が考えている呪いとは『一個人の想い』でしかありません。
たった一個人の力よりも、太陽や宇宙の力の方が圧倒的に上ですから、宇宙を感じて瞑想をすれば呪いなど跳ね除けられますよ。
「心霊スポットに面白半分で行って呪われてしまった」と思っている方は、供養したり上記の瞑想をしてみてください。
また、心霊スポットに行く人は少し考えてほしいのですが、土足で自分の家を踏み荒らされたらどう思いますか?
自らの行いを悔い改め、きちんと供養しましょう。
もっとも、テレビやネットが面白おかしく情報を流すからいけないのですが。
意識、無意識に関わらず、負の力は日常で使っています。
もちろん正の力も使っています。
必要以上に怖がる必要はありませんが、好奇心で手を出すと痛い目にあいます。
いえ、痛い目どころか死んでしまいますから、「そういうものもあるんだ」と思ってください。
何事も『ほどほど』が良いのです。
それを中庸と言います。
私も「ポジティブが良い」とは話していますが、そもそもネガティブがなければ、ポジティブという概念は生まれません。
ネガティブがなければポジティブと比較できないのです。
ですから、一方だけを見るのではなく、両方を見て、その上で自分がどうなりたいのかを決めてください。
どちらも理解した上で決めるのです。
それが自由というものですよ。
まずは、日常の中にある正の力、負の力を調べ、考えましょう。
人が変わっていくために必要なことは『気付き』です。
日々、考えていってください。
※以下を参考に
正の力:ポジティブな感情、感謝、思いやり、慈悲など
負の力:ネガティブな感情、煩悩、誘惑、怨念など
これらの力には『強弱』があります。
日常レベルの力なら大した効果はありませんが、習慣にしてしまうと大きな力が発揮されます。
『1』という数字は小さいですが、それが100回も1000回も重なれば大きくなるのです。
もちろん、いきなり『1000』にすることも可能です。
気功師や呪術師がしていることはこういうことですから。
今が大丈夫だからその先も大丈夫だとは思わないように。
また、人だけではなく全ての生命について考えていってください。