信仰=宗教ではない、矛盾を見つけよう、信仰とは自然となるもの

先日、若者には信仰(ここでは『何かに確信を持つこと』と定義します)が足りないと話しましたが、「じゃあ宗教に入ればいいんだ」と思わないでください。

むしろ私は、現在の宗教に懐疑的です。


今の宗教は、少し考えればおかしいと思うことを屁理屈をこねくり回して正当化します。

子どもでも分かる矛盾を抱えているのです。


例えば、仏教を信仰している教祖や仏僧が嘘をついたり、一族の血を重んじたり、肉を食べたり、酒を飲んだり、豪邸に住んだり、高級車を乗り回したりしています。


特に仏陀は、「人だけではなく生き物全ての命が大切ですよ」と説いています。

仏教は仏陀の教えを広める宗教ですから、仏陀の教えを守れない教祖や仏僧などあってはなりません。


生き物を殺して食べることを禁止しているのに、何故肉を食べるのでしょうか?

肉を食べたいのなら、始めから教祖や仏僧になどならなければいいのです。


「信者に頂いたから」という論理はあるかもしれませんが、それなら伝えておけば事足ります。

何度も改める機会があったにも関わらず改めないということは、自分の欲に負けているだけでしょう。



また豪遊については、他にも仕事をしているのなら、その収入分を好きにするのはまだ分かります。

しかし、宗教は寄付やボランティアで成り立つものですから、信者から集めたお金で豪遊するのはおかしいでしょう。


自分の煩悩すらコントロールできない者が、何故教祖や仏僧を名乗っているのでしょうか?


最低限生きていくだけの欲なら、豪遊などする必要はないのです。

むしろ、『ケの日々』を過ごすことになりますから、浪費や豪遊など『できない』のです。


それをする時は、何か祝い事がある時(ハレの日)だけになります。



では、何故このようなことができるのかというと、『仏ではなく悪魔を崇めているから』です。

ですから、常時浪費や豪遊ができるのです。


悪魔は煩悩を誘導することに長けていますから、騙されないように。


色々な宗教を調べてみて、「あれ、これおかしいな?」と思ったら、その宗教には入らないでください。

教義では真っ当なことを話しているのですが、現在の宗教は中身が伴っていませんから。


もっとも、信者なら修行中ですから分かります。

煩悩に振り回されることもあるでしょうが、それを改めるために修行をしているからです。


しかし、信者を導く教祖や仏僧がそれではダメでしょう。

そんな体たらくで、信者をどこへ導くつもりなのでしょうか?


そのままでは地獄へと向かうだけですから、その宗教の行動に矛盾があるかどうかは見極めてください。



「宗教に入れば楽になれる、幸せになれる」と勘違いしている方は多いのですが、宗教とは教えを学び、それを実践していく場です。


場所によってはとても厳格であり、楽になるどころか毎日修行漬けになりますから、煩悩だらけの自我で実践すると逆に苦しくなります。


そもそも、仏陀が自分勝手な人間を救うと本気で思っているのでしょうか?

肉を食べ、嘘を吐き、酒に溺れ、自分の煩悩をコントロールできない者を救うと本気で考えているのでしょうか?


別に仏陀でなくとも、神が人間を守ってくれると考えること自体疑問に思います。



神は人間だけを作ったのではなく、全ての生命を作りました。

よって、全ての生命は神の加護下にあります。


しかし、その生命を根絶やしにして、隷属させて、好き勝手弄んでいるのが人間です。

自分が保護している生命を蔑ろにしたら怒りそうなものなのですが、何故それについて考えないのでしょうか?


「自分達は選ばれたから好きにしていい」と考えることは傲慢でしょう。


あなたはそんな自分勝手な人間を許せるのですか?

例えば、自分の家族(長男や次男)が自分の家族(妻や長女)を奴隷にしても、あるいは殺しても何とも思わないのですか?


「神と人との精神性は違う」という論理はあると思いますが、人間でも分かることが神に分からないなどあり得ません。

神は全能だと考えるのなら、人間が何を思っているかなど手に取るように分かるはずです。


それに、神は愛を説いているのですから『生命全てが平等』です。

命の重さは等価値であり、誰かに肩入れするようなことはしないのです。


ですから、人間が特別、自分の一族が特別だと思うこと自体おかしいのですよ。


今の宗教は権力者の道具(昔からそうですが)ですから、そんな歪んだものを信じても幸せにはなれません。

あのマザー・テレサでさえ、「神が分からない、神の愛が分からない」と言っているのですから。



仏や神に縋っているだけでは、いつまでも救われません。

教えを学び、それを実践してこそ救われるのです。


そして、その教えとは『慈悲』です。


思いやりの心を持ち、それを実践していくことが大切なのです。

しかも、『人間以外にも目を向けていく必要があります』。


「それこそが仏や神の教え」と言えるのです。


なお、「仏や神の言葉を教祖や司祭が代弁してくれる」と思わなくていいです。

主だった宗教は慈悲の心を持つように説いていますから、それを実践していくだけで十分です。


むしろ、代弁にはその宗教の余計な考えが付随していますから、その言葉を鵜呑みにすると自分が苦しくなります。

自動書記など信じていたら悪魔に騙されるだけですよ?


そもそも、「自分達が特別」と思っている時点で選民思想と変わらないのですが、何故分からないのでしょうか?


その程度で教祖など聞いて呆れます。

悪魔の手先の間違いでは?


もっとも、そのような者達を反面教師にしていけば慈悲を実践できるでしょう。



もし「自分は特別だ」と思いたいのなら、『悟っているかどうか』を基準にしてください。

特別と思いたいのなら、毎日学び、修行をしましょう。


まあ、悟ってしまうとそんなことは思わなくなりますが。


始めは「自分が救われたい」と思っているかもしれませんが、最終的には「自分を犠牲にしてでも助けたい」と思えるようになってください。

なんでもかんでも自己犠牲が正当化されるとは思いませんが、それくらいの心構えになりましょう。


それを『慈悲』や『利他行為』と言うのです。

利己ではなく利他に生きてください。



ところで、宗教はトップがおかしいと話していますが、それとは逆パターンも存在しています。

つまり、トップはまともなのですがその周りがおかしいのです。


教えを拡大解釈すると言いますか、自分に都合の良いように解釈しているのです。

そして、「トップに縋れば大丈夫」と思考停止しています。


これは宗教と変わりませんね。

自分で考えていない人間が多すぎるのです。


なお、私はこのパターンの場所に一時期いました。

そのトップから学ぶことは多かったのですが、学びに一区切りついたので離れましたが。


理由は、周りの人間に嫌気がさしたからです。

こんな場所にいては自分もダメになると思ってしまったからです。


自分で考えられない、縋っているだけの人間の傍になどいられません。


また、この時感じたことは「どんなにすごい人でも縋るものが必要なのか」ということでした。



当時紹介された方は、とある分野で日本有数の方だったのですが、話を聞いていると宗教に嵌った人そのもの、もう普通のおばちゃんと同レベルだったのです。

「こんな人が本当にすごいのか?」と疑心暗鬼になったものです。


そして、この傾向は女性に強いように感じます。


女性は昔から男性の下に位置付けられてきましたから、そのせいでしょうか?

それとも、女性の精神性(魂)がそのようなものだからでしょうか?


仮初のトップではなく、本物のトップになることは女性では不可能だと?

やってやれないことはないと思うのは私が男だからでしょうか?


いえ、考察すると長くなるので止めておきましょう。


宗教やそれに類する団体は嵌っている分には良いですが、冷静な視点で見ると面倒の方が多いです。

電話とかしつこいですから、入るのは止めておいた方が無難ですよ。


私は電話だけで済みましたが、他の場所はそれ以上のこともしてくるようですから気を付けてください。



そもそも、宗教の教えなどは書籍になっていますから、入会したり集まって話を聞かなくても知識は増やせます。

昔ならともかく、今はインターネットの情報も書籍も大量にありますから学び放題です。


とりあえず、宗教の書籍を100冊程度読めば、宗教がどんなものかは分かるでしょう。

しかし、それ以上となると瞑想が絶対に必要になります。


仏教の話になりますが、悟りとは瞑想をして体感しないと悟ることはできないのです。


いくら知識が増えても不可能であり、むしろ、知識などほどほどで瞑想をした方が悟れます。

子どもの方が悟ってしまうくらいですから。


大人はあれこれ考えすぎなのです。

悟りには理屈も必要ですが、それ以上に体感が必要なのですよ。



宗教に入りたいのなら、知識を増やしてからでも遅くはありません。

むしろ、知識を増やしてからにしてください。


スコトーマが減るため、その方が騙されないですから。


いえ、いきなり洗脳されることもありますから、確実に騙されないとは言えません。

瞬間催眠をしてくる者もいますから、相手の目は見ないようにしましょう。


もっとも、目以外にも催眠方法はありますから、目だけを注意していてもいけないのですが。


非言語で訴えかける方法などいくらでもありますから、あっという間に催眠状態にすることも可能です。

例えば、見た目に威厳を持たせるだけで催眠にかかってしまう人もいます。


現代人はお金に洗脳されていますから、見た目に威厳を出されると「この人はすごい人だ!」と洗脳されてしまうのです。


統計でも、現代人は収入が高い人を信用する傾向にあります。

例えば、年収100万円の人よりも、年収3億円の人の方が信用されやすいのです。


しかし中身を見てみると、収入が高い人は煩悩が大きく、収入が低い人は煩悩が小さいということがあります。

お金の煩悩が大きい人を信用していたら、楽になることなどできないでしょう。


教えとは逆のことをしているのですから。


この人間の機能を使うために高価な衣服を身に付けている教祖もいるのですが、どうなのでしょうか?

普通の人からすれば、「え?教えてることと違うよね?」となるはずです。


こんなことをしているから宗教の信用がなくなっていくのです。

まあ、それは置いておきましょう。



信仰を得たいのなら、今の宗教は足枷にしかなりません。

トップが矛盾した行動をとっており、子どもを煙にまく論理展開しかしていないからです。


見えないものが見えるとか、感じるとかだけなら分からないでもないですが、それよりも教えと矛盾している行動はどうなのでしょうか?


少なくとも私は信用できませんし、「この程度なのか」と思います。

信者についても、何故その程度の輩に洗脳されているのか疑問しか出てきません。


今の宗教がカルトと変わらないと思っている人がいるのは、この矛盾があるからです。

大人は一体何をしているのでしょうね?


もっとも、勉強ができる人の方が情報空間に臨場感を感じられるため、洗脳されやすいのです。

勉強とは、『文字情報を自分に落とし込む作業』ですから。


そのため、勉強ができると宗教の教義(情報)に染まりやすい傾向にあります。

とある催眠術師など、「私は東大生に催眠をかけて外したことはない」と言っているくらいです。


オウム真理教というカルト集団にも東大のエリートは多数いましたから、勉強ができる方が教義に染まりやすいと思ってください。

まあ、いくら教義がすごくとも中身が伴っていないのですが。



信仰を得たいのなら、手始めに『気功』を信じましょう。

『信じて実践していけば効果が出るのが気功』ですから、実感しやすいと思います。


気功は信じれば信じた分だけ効果が上がりますから、「信仰がどういうものか」を理解するためにはちょうどいいです。

気功という目に見えないものを確信できれば、他のものを信仰することもできるようになるでしょう。


また、気功の効果を高めるためには認知科学の知識も必要です。

そして、スコトーマを減らすためにも大量の知識(経験を含む)が必要になります。


たくさん学んで、色々と体験して、自分をアップグレードしていってください。



今の時代は、昔のように宗教や団体に所属することなく知識が得られる時代です。

それを有効活用していきましょう。


何かに縋るのではなく、自分から動いていってください。


そうすれば、いつの間にか信仰している自分に気が付くと思います。

信仰とは、「信仰しよう」と思ってするものではなく「自然となるもの」です。


行動していけば、その意味も分かるようになりますよ。

プロフィール

Sage

コーチでありヒーラー

『どうすれば自分を変えていけるか』という話を分かりやすくしています

小学6年生なら分かる内容ですから、自分を変えたいのなら学びましょう

方法さえ分かれば、誰であろうと変わることはできます

なお、コーチングやヒーリングの依頼、学習はこちらから

生まれ変わるために

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※ヒーリングに必要な知識だけをまとめました