食の話で、元気になるために「なるべく汚染されていないものを食べよう」と話したと思います。
現代の食品はほぼ全てに農薬や添加物が使われているため、それらが少ない食事をしていこうと。
街を歩いていると、彼方此方に汚染された人が目立ちます。
気になったのは、赤子の汚染が酷いことです。
その親も汚染されていますからどうしようもありませんが。
ですが、人間に限らず生命は適応する力を持っています。
つまり、毒に対しても耐性を獲得するのです。
そのため、何でもかんでも毒を排除する必要はありません。
目安としては、”自分に影響が出ていない場合”気にしないことでしょう。
ただし、影響が出ていないと思っていても、実際には出ていたということがあります。
毎日、あまりに少ない影響しかなかったため、気付かないということです。
しかし、自分が食べたいから食べていたのであって、誰からも強制されたわけではないはずです。
子どもは違うかもしれませんが。
その結果、病気になったとしてもそれは自分の責任です。
こういうことに気付くことも大切なのです。
そして、気付いたから”これからどうしていくのか”が大切なのです。
今まで食べていたものは無駄ではありません。
後悔しなくてもいいのです。
全てが自分の糧になっているのです。
精神的にも肉体的にも糧になっているのです。
たとえ心と身体を壊したとしても、それそのものには意味があります。
更に”自分を成長させていく糧”にできるのです。
病気だからと言って悲観する必要はありません。
これから変えていけばいいだけですからね。
何かしらの変化が心と身体に起こることは結果です。
ですから、必ず原因があります。
しかも、たいていは複数の原因があります。
その複合的原因の結果が今のあなたなのです。
その原因を少しずつ解明していきましょう。
名探偵になりましょう。
自分の身体のことは自分が一番分かります。
何処にどんな痛みがあるとか、言葉では言い表せない状態だとかは、自分にしか分からないものなのです。
流されるのではなく、自分でとにかく考えてください。
全てを疑ってください。
知識を身につけ、そして原因を排除していってください。
そうすれば、今よりも元気になることができますよ。
これは、やるかやらないかです。
自分で考えるかそうでないかなのです。
何かに頼るということは、自分の思考を放棄するということです。
考え続ける癖がある場合、例えば薬一つをとっても、メリットとデメリットが浮かび上がります。
考えている場合、「この薬はこういう効能があって、副作用にはこういう症状が出る。でも私は治るためにこの薬を飲む」と選択できます。
ですが考えない場合、「お医者さんが言ったからこの薬を飲む」で終わってしまうのです。
副作用のことなど考えもせず、盲目的に薬を飲み続けてしまうのです。
もちろんプラシーボ効果があるため、信頼している医者の言うことは聞き入れてもいいのですが、それとこれとは話が別です。
考えていない場合、「○○の効果がある!」「◇◇に効く!」という謳い文句に踊らされるだけなのです。
これでは他者の言いなりになるだけです。
自分の心と身体は自分で守りましょう。
幸い、現代ではインターネットが発達しています。
原因の特定も知識の習得も容易になっています。
日々考え続け、日々知識を習得し、自分を成長させていきましょう。
考え続ける癖がつけば、自ずと自分の状態も分かるようになります。
思考の放棄が一番危険なのです。
これは難病だろうと変わりません。
むしろ、難病の方が治る確率は高まるでしょう。
医者がさじを投げるということは、これ以上医者から洗脳されないということですから。
医者の全てが悪いとは思いませんが、医者に頼りっぱなしというのは問題です。
「専門家に任せる」と言えば聞こえはいいですが、実際は思考放棄をしているだけですから。
自分のことは自分で考えましょう。
そして、”考えた結果”医者に頼ればいいのです。
自分で自分に相応しい医者を探して、その人に頼ればいいのです。
いくら知識があったとしても、技術云々は別ですからね。
治るための鉄則は、「思考放棄せず、知識を習得し、自分の心と身体を労わる」です。
まず始めに、自分で選択しましょう。
「自分は治るぞ!」という選択をしましょう。
これが一番大切です。
治る選択をしていってください。
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